13


 

 突き上げられる。

 体が揺れる。

 声が漏れる。

 

 堕ちる。

 

 

 

「・・・目を開けて、ナギ」

 自分の中からゆっくりと何かが出ていって、その感触にナギはぶるりと体を震わせた。そしてその声に従うように閉じていた目を開けると、そこには見慣れた顔があった。その顔に浮かんでいる笑みは純粋とか無垢とか、そういう表現しかできないようなもので、そのことにナギはいつも体のどこかが少しずつ壊れていく気がした。
 こうやって抱かれる度に思う。
 何も生まないこの行為を、どうして目の前のこの人はこうも好むのかと。
 確かにひどい快楽は生む。それは最初は痛みしか感じなかったナギの体もどんどん侵蝕していって、そのことに絶望することすらナギはもう諦めた。

 まだ痛みの方がマシだと何度思ったかしれない。

 あのころ――学校で、殴られ、蹴られるのをただ体を丸めて耐えていたころの方が、自分の精神はまとものような気がするのだ。

 

 男であるナギが抱かれることを知ったのは12のときだ。
 その行為が何なのかも分からないまま、自分の中に何かが入ってきたとき、同時に何かが自分の中から消えていくような感じがしたのをナギは今でも憶えている。ただひたすら体を襲う気絶しそうなほどの痛みと、そして、それでも微かにではあるが体が知った性の快楽はナギの精神を一瞬で蝕んだ。
 その蝕みを埋めてくれたのが、それを作った本人だということは悲劇というよりいっそ喜劇とでも言えるのだろうか。

 親愛を恐怖に。

 痛みを快楽に。

 異常を正常に。

 ―――今となってはもう何もかもがナギには遠い。

  

「・・・まだ、できるね?」

 そう言われて、ナギがいいえと言ったことなど一度もない。なのに必ずと言っていいほどそう聞いてくる目の前の人がナギはいつも不思議だった。だが、そんなことは聞かなくてもいいと言える勇気も、そして気力もナギにはなく、ナギはいつものように首を縦に振る。そんなナギに穏やかな笑みを向け、彼はナギに口付けを落とした。
 すべてが激しいこの行為で、その口付けだけがどうしてこうも静かなんだろうか。

「・・・この目、本当に綺麗だ」

 ナギの目を見つめながらいつも彼はそう言う。
 あまりに真剣に、そして切実に。

 

 中1になって始めての夏、水泳の授業のときだった。授業を終え、更衣室で着替えをしている時に、ナギは隣にいたクラスの男子に背中をつっと触られた。その感触にあまりに驚き、「ひっ」と声を挙げて振り返ると、その男子はナギ以上に驚いたような顔でナギを見た。

「んな驚かなくてもいーじゃん。あんま色白いからちょっと触りたくなったんだって」

「え・・・あ、ごめん」

「べっつにー。・・・つーかお前、もしかして目の色もちょっと違う?入学式ん時からちょっと外人ぽいヤツだなってクラスの奴と話してたんだけどさ、目の色薄いよな、お前」

 その台詞を聞いたとき、ナギの脳裏に浮かんだのは紛れもなく体を丸めていたころの自分だった。
 今日まで誰一人として友人も作ることができず、目立たないように生きてきたのに、やはりこの容姿は学校という狭い世界で特異なものにしか映らない。
 この目のせいで、また、あの頃のように殴られ、蹴られるんだろうか。

 ―――本当に、ナギの目は綺麗だね。

 昨日、そう言われたことまで思い出して、ナギはそうと分かるほど明らかに体を震わせた。

「・・・おい?」

 怪訝そうな表情でナギを見てくるクラスメイトに無理やり笑みを返すと、ナギは更衣室から逃げるように飛び出した。そしてそのまま学校を抜け出し、どこに行こうかとも決めないまま家とは逆の方向に走った。そうやって全速力で走っていれば、それまで頭の中を支配していた感情や記憶は薄まっていく気がした。

 それからどれほど走ったか分からないあたりまで来て、ナギは倒れこむようにその場に座りこんだ。ちょうど広場のようなところまで来ていたようで、息を落ち着かせながら周りを見渡すと昼間だからかあまり人がいなかった。ビルの合間に作られた広場は思いのほか広く、その周りを整えられた木々が囲んでいた。

 そこに、聞こえてきたのだ。

 

「やあ!今日も元気だねえ!」

 

 最初は単に誰かと誰かが会話しているんだろうと思っていた。だから別に声が聞こえる方向に顔を向けることもなく、ナギは息を整えようと下を俯いていた。
 だが、それから同じ台詞が3回ほど続けて聞こえて、何か変だと思ったナギは顔を上げて声の持ち主を見遣った。
 ――その人間は、木に話しかけていた。
 彼は広場を囲む、およそ3メートル間隔で植えられている木、一本一本に話しかけていたのだ。
 あまりのことにナギが呆然と彼を見続けていると、どうやら広場にちらほらいた他の何人かの人も彼に驚いたような視線を向けているようだった。だが、多分100本以上あるだろう彼の木々への挨拶を見ていたのはおよそ1分足らずで、ナギは他の人間同様彼から視線を外し、何もなかったかのようにさっきと同じように顔を下に向けた。
 その瞬間、ナギは気がついたのだ。
 ああも特異に見える人間には、人は自ら近付こうとはしないということを。

 それからだった。
 ナギが学校で誰が見ても変だと取れる行動をわざとするようになったのは。
 学校脇に生えている数本の木に朝は必ず挨拶し、授業中もとにかく変だと思われるようなことばかりナギはし続けた。父親の書斎にあった画集に書いてあったことを理科の授業で話したり、教師に問われたことに全く答えずに黒板につらつらとフランス語を書き連ねたりした。
 そして、その効果は抜群だった。
 誰もナギには近付かなくなり、あの、色が白いと言って背中を触ってきた男子もナギと目が合えば視線を逸らした。
 ―――最初からこうすればよかった。
 そう思いながらも、逸らされた視線はナギが期待していたものなのに何故かひどく胸が痛んだ。だが、その痛みをナギは無理にでも無視することにした。
 もう、腹にも胸にも青あざをつけるような毎日には戻りたくなかったし、それに。

 目が綺麗だなどと言われるのは、あの時だけでよかった。

 

 

 突き上げられる。

 体が揺れる。

 声が漏れる。

 

「・・・ナギ、愛してるよ」

 

 抱きしめられ、耳元でそう囁かれるたびにナギの目じりからは涙が零れた。
 それはそれまで体が感じていた過ぎた快感によるところが大きかったが、それでも、その言葉で目から零れ落ちる涙は数倍にも、数百倍にも増しているようにナギには思えた。

 より深く突き上げられて、自分のあげた甲高い声が耳に入ってくる。
 そして、体の中に何かが注ぎ込まれる。

 

 

 ―――堕ちる。

 

 

 そう感じているのは体か、それとも心か―――。

 

 



HOME  BACK  TOP  NEXT 

 



 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送