12


 

 驚いた。
 カイトはとにかく驚くしかなかった。それは店に現れた常軌を逸したような美貌の男にもだが、それよりもその男がナギの知り合いだということにカイトは驚いていた。
 男がナギの名前を呼んでテーブルに近付いてきたとき、後ろを振り向いてその男を見つめていたナギの表情をカイトは見ることができなかった。だが、それでもその顔に驚愕の表情が浮かんでいることは予想ができた。何故ならテーブルの上に無造作に置かれていたナギの両手はきつく拳を握り締めていて、何かに緊張していることは明らかだったからだ。結局ナギは一言「それじゃ」と言って、その男に連れられるまま店から出て行ったが、男の方はカイトに視線すらよこさなかった。

 カイトが知る誰より――スクリーンでしか見たことのない俳優やモデルより――完璧に整った顔をした男だった。
 ほとんど白人のような容姿に、かすかに見える東洋人らしい雰囲気。だが、そんなことなど考える余裕など全くないほど美しい男だった。
 そんな男が、何故ナギの知り合いなのか。
 おもむろにポケットから携帯から取り出すと、カイトはリダイヤルからある番号を見つけ出し、電話をかけた。

  

「急な呼び出しとはどういった御用ですか?」

 それまでナギが座っていた椅子に腰掛けた男の年齢をカイトは知らない。大学生にも40代にも見えるこの男のことでカイトが知っているのは、越智という名前の探偵であるということと、そして、IQ220の天才であるということだけだ。
 カイトが越智のことを知ったのは、蛇の道は蛇というべきか、夜の仕事や裏の仕事をする人間が集まる小さなバーだった。小説家という生業上、カイトは色々な職業の人間に近付き、そして彼らから様々な情報を得ていた。その対価としては金を支払うのがほとんどだったが、カイトとのセックスを要求する人間も時々いた。自分が無類の面食いであることをよく知っているカイトはその要求を呑むことはほとんどなかった。だが、どうしても知りたいことがあって、つい1ヶ月前全く好みでもなんでもない男と寝た。
 その対価として知ったのが越智という探偵の情報だった。
 生まれも、年齢も、そして事務所の所在すら分からないその探偵は、その仕事の完璧さから夜に生きる人間の間で絶対的な信頼を得ていた。当然頼まれる仕事も通常とは違って一癖も二癖もあるものばかりだったらしいが、それでも越智は期限内に絶対にそして完璧に終わらせたらしい。
 そんな越智に、どうしてもカイトは調べてほしいことがあったのだ。 

 ―――「日下水」と「朔田凪」についての情報を。

「日下くんについてはもう分かったからいいんだけど、朔田くんのことでもう少し調べてほしいことがあるんだ」

「・・・どういったことでしょう」

「今日、朔田くんとここでお茶飲んでたら、恐ろしく美形な男が彼のこと連れてったんだ。それが誰か調べてほしい」

 カイトがそう言うと、越智は相変わらず全く表情を変えることなく口を開いた。

「それは調査の対象に入っていません。貴方の朔田さんに関する依頼内容は「日下水と朔田凪の関係について」と「朔田凪がどういう人間か」だったはずです。彼の家族以外の人間関係は依頼されておりません」

「ならお金追加するから調べて」

「これ以上何をお知りになりたいのです?」

「っっ・・・朔田くんは、僕が日下くんの客だって知ってた!貴方の調査じゃあ単なる友達だったはずなのに!それに・・・あの男なに!?」

 激昂するカイトに越智はまったく興味がないような視線を向けた。その視線にカイトはさらに苛立ち、胸元のポケットから煙草を取り出して火をつける。煙を深く吸い込み、吐き出しても全く気分は晴れなかった。

「・・・肌が荒れるから吸わないとおっしゃっていませんでしたか。日下さんは母親に似た、肌が白く綺麗な、華奢な人が好きだからと」

 それを聞いて、カイトはカッと頭に血が昇り、その煙草を越智のコーヒーの中に乱暴に入れた。ジュッという火が消える音がして、その音にすら何故か腹が立った。
 カイトが、ナギがクオーターだと知ってあれほどショックを受けた理由は、まさしくそれだったからだ。

 

 スイとカイトが出会ったのは今から1年前だった。
 小説家として成功し、カイトは他人より数倍優れた容姿で誰もが羨むような生活をしていた。欲しかったマンションも、車も手に入れ、ゲイバーに行けば客の中で一番容姿のいい男がカイトを口説きに来た。そのことをカイトは当然だと思っていたし、自分から誰かを口説く必要など一度もなかった。
 だから、カイトの前にスイが現れたとき、カイトは絶対にスイを手に入れようと決めた。
 ウリをやっている綺麗な男がいると夜の界隈では有名だったスイに、カイトは偶然を装って自分を客にしないかと持ちかけた。初めて近くで見たスイは本当に綺麗な顔をしていて、そして時々垣間見せる色気のようなものにどうしようもなく惹きつけられた。するとスイにウリの中でも相当高いだろう値段を言われて、そのことにカイトの自尊心が傷つけられなかったと言えば嘘になる。だが、それでも時が経てばスイは自分に靡くとカイトは信じて疑わなかった。

 最初は週に一度、それから週に二度、とカイトはスイを呼び出した。どれだけ呼び出す回数が頻繁になってもスイは絶対にカイトのそれを断ることはなく、そのことにカイトは少なからず喜んだ。会えば必ずカイトの望むようにスイは自分を抱き、肌を吸ってと言えばいくつもの赤い痕を残してくれた。きっと、段々スイは自分を好きになってきているんだと思った。そう思えば、会うたびに数十万という高い金を払うのも気にならなかった。
 だから、逆にカイトの方がスイを好きになってしまっていることに気付くのに時間がかかった。自分と一緒にいない日は何をしているんだろうか、他にも客を取っているんだろうか――そんな疑問は次から次へとカイトの脳裏を襲い、耐え切れなくなったカイトは探偵にスイのことを調べさせようと決めたのだ。

 そして、自分以外にもう一人女の客がいることを知って、カイトは身が切られるような嫉妬心に苦しんだ。
 あの唇で他の人間に口付け、あの腕で他の人間を抱き、そして、あの綺麗な笑みが自分以外にも向けられているなど耐えられなかった。
 でも、それでも何とか耐えられたのは、客でしかなかったからだ。 スイに恋人と呼べるような人間はおらず、その女を客にとっているだけだったからだ。

 でも、ナギは違った。

 スイとナギが知り合って間もないことは越智に聞いた。
 だがそれでも、越智に「日下さんに友人ができたようです」と聞いたとき、カイトが受けた衝撃は並々ならぬものがあったのだ。
 付き合いが1年にもなれば、カイトもスイがどういう人間なのか少なからず分かってくる。カイトの目から見て、断言することができるほどスイは友達という存在を作るような人間ではなかった。その容姿から、寄ってくる男も女も後を絶たなかったようだが、そんな彼らを好むどころか嫌悪してしまうほどスイは「浅い付き合い」や「適当な対応」ができない人間だった。
 それは、カイトにはひどく好ましく見えたのだ。
 きっと、その他大勢に優しくしない分一人を深く愛することのできる人間なんだろうと。だから、絶対自分の呼び出しを断ることはないし、会うたびに優しい笑みを向けてくれるんだろうと。

 そして、スイが深く愛しているのは自分しかいないと。

 だから、そんなスイに「友人」ができたなど、カイトは信じたくなかった。
 その友人が、スイが焦がれてやまない死んだ母親に似た、どこか透き通ったような容姿をしていれば尚更。

「・・・あなたと彼は、客と男娼、それだけの関係でしょう?」

 沈黙が流れていた場に聞こえてきた越智の台詞は、カイトの胸を抉るには十分だった。

「日下さんが、貴方の知らないところで友人を作ることに貴方は関係ないし、その友人の知り合いのことなど知ってもどうしようもないのではないですか?」

「うるさい!!あんたは探偵なんだから客が調べてっていってんだから調べて!」

 それだけの間柄なんかじゃない。
 スイはカイトの言うことであれば大抵のことは絶対に聞いてくれたし、どんなに遅い時間に「会いたい」と連絡しても、それを断ることなど一度もなかったのだから。
 ぶつくさ文句を言いながら、それでも微笑んで自分の話を聴いてくれたのだから。

 あんなに優しく、抱いてくれたのだから。

「・・・あの男と朔田くんの関係が分かったら電話して。あと、朔田くんについてももっと詳しく調べて」

 越智の目を見ずにカイトはそう言った。
 この、目の前の探偵が只者ではないと分かるのは、時々見せる鋭い双眸のせいだ。普段は何を考えているのか分からないような表情をその顔に乗せているのに、時々垣間見せる目の色は明らかに普通ではなかった。
 今、もしかすればそんな目をしているような気がして、カイトは顔を伏せながら椅子から立ち上がった。―――だが。

「彼は、朔田さんの父親です」

 そんな台詞が越智の口から紡ぎだ出され、カイトはその目を大きく見開いて越智を見た。

 

「朔田零という名を聞いたことはありませんか?」

 一度は上げた腰を椅子の上に戻すと、越智はカイトにそう聞いてきた。そして、その名に聞き覚えのあったカイトは微かに首を縦に振った。

「なら話は早いですね。彼がその朔田零です。現在、画家としてその名は世界に名高い。日本人の父親とフランス人の母親の間で生まれ、15でパリの大きな美術展で賞を総嘗めした天才です。その彼が、フランスに出張に来ていた日本人の女性と出会い、彼女は彼の子供を妊娠した。その子供が朔田凪さんです」

「ちょ、っと待ってよ。だってあの人どう見ても20代の後半ぐらいにしか見えない」

「そうですね。20代ではないですが、彼の年齢ははまだ32です。彼が15のときに朔田凪さんは生まれましたから。ただ、母親は産後の具合が悪かったのか、朔田さんを産んで3ヵ月後に亡くなっています」

「・・・なら、誰が朔田くん育てたのさ」

「父親である朔田零さんですよ」

 その台詞にカイトは目を軽く見開いた。

「朔田零さんのご両親は、彼が13のときに交通事故で亡くなっています。ですので、彼が育てるしかなかったようですが、15のときからかなり子煩悩な人だったそうです。ご両親がかなりの遺産を残されていましたし、お金の苦労はされていないようですね」

「・・・・・・・。」

「これでよろしいですか?」

「・・・まだだよ。朔田くんについては何も聞いていない」

 自分でそう言いながらも、カイトはナギについて聞くことが本当はひどく怖かった。聞いてしまえば、きっと自分はどうしようもなく嫌な気分を抱えることになるような気がした。何故そんな風に思うのかはカイト自身よく分からない。
 それでも、カイトは聞かずにはいられなかった。
 そんなカイトに越智はそうとは分からないような溜息を一つ漏らし、そして静かに口を開いた。

「・・・朔田くんは、父親と一緒に11歳の頃から日本に住んでいます。父親は絵を描くために月の半分はフランスで、そのため彼が12になるまで家政婦がもう半分を彼と一緒に過ごしていたようです。彼が12歳になった以降、父親である朔田零さんはアトリエを日本に移し、月のほとんどを日本で暮らすようになりました。そして、その年、朔田くんはある絵で日本最高峰と呼ばれる美術展で入賞します」

「12!?」

「ええ。・・・彼は天才ですよ、紛れもなく。彼が描いたのは水墨画でした。白黒の世界に描かれたその絵に、彼は「果て」と名前を付けていましたが、一体彼が12という年で何を見たのか私には分かりません。ですが、12の子供が見てはならないものを見たような、そんな絵でした。そしてその絵を描いたきり、彼は一度も絵を描いていません」

「・・・なんで」

「それは分かりません。人の心ばかりは探偵でも調べかねますので」

 

 もう、何も言えなかった。
 一言も口を利かないカイトを置いて越智が店から出て行っても、その後姿に視線をやることすら億劫だった。
 そして今となっては、自分が一体何を知りたかったのか、そしてどうしたかったのかすらカイトには分からない。淡々と越智の口から紡ぎだされた話の内容は確かにカイトが知りたかったもので、だが、スイのことを調べてもらったときのような心の中の靄が晴れた気分にはなれなかった。

 ―――そこに携帯が鳴る。液晶を見ればそこにはカイトが惹かれてやまない男の名前があって、カイトはそれまでの気分を追い払うように通話ボタンを押した。

 

 



HOME  BACK  TOP  NEXT 

 


 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送