ああ、またかと思った。
 普通なら卒倒してもおかしくない光景に、げんなりして溜息さえ出る。
 一体いつになったらこの不幸体質は改善されるんだろうかと。

 

 



後悔するほど愛し愛されたい
世界は単純なまでにそこに帰結する



  

 最初は、父親の浮気現場だった。
 あれは俺が小学校に入ったばかりの年、公園で遊んだ帰りの道で見たのは、父親が若い女と暗がりで抱き合ってる姿。それを俺が母親にぽろりと零し、結局それが原因で両親は離婚した。
 その次は、俺の11の誕生日だ。「今日の夕飯は外に食いに行くか」という父親の言葉にはしゃぎながら家を出て、誰より早く着いた教室では担任が養護教諭と乳繰り合っていた。二人の息遣いも、衣服の乱れも、その何もかもがその時の俺にはあまりにおぞましくて、思わず上げた大きな声。その大声のせいで、二人はいつの間にか学校からいなくなった。
 そして、小6の冬。生徒のみならず教師の覚えも目出度い学校一番の秀才の悪癖を目撃した瞬間、俺はようやく自分の特殊すぎる体質に気がついた。

『……お前、志筑(シヅキ)、だっけ』

 そう言って小学生にあるまじき冷たい目をした少年は、名を鳥生(トリイ)といい、多分俺の通っていた小学校で一番女に人気があった奴だった。俺を含めたその他大勢とは180度違う、小学生男子にありがちながさつさなどこれっぽっちもなかった、完璧な美少年。

『見たな』

『う……』

 その美少年が、何故か裸で犬2匹猫3匹と戯れていた。
 ちなみにそこは鳥生の家の中だったので、鳥生とてよりによって俺なんぞにこんなところを見られるとは露にも思っていなかったはずだ。だが、それは俺にだって言えることで、珍しく学校を早退した鳥生に家が近いというだけでプリントを預けられたのが運の尽きだったのだろう。呼び鈴を押したが返事がなく、鍵の掛かっていなかったドアを開けて家の中に入り、居間のドアを開けて見たのがそれというわけだった。今思えば、いくら小学生だからと言って勝手に他人の家にあがりこむべきではなかったかもしれないが、どうせもう後の祭りなのだ。

『ちょっと待ってろ』

 そう言って鳥生は動物から離れ、俺の横を通り過ぎて廊下の奥へと歩いていく。しばらく経って服を着て戻ってきた鳥生の顔に、俺はこれからこいつに殺されると本気で思った。

 


 だが、どうにか殺されずこうして22になる今まで生き長らえた。
 が、それは全て俺の耐えに耐え忍んだこれまでの生活の賜物だ。そしてそれもあと3日。あと3日でその生活からようやく解放される。その喜びをひしひしとかみ締めつつ、小腹が減ってスーパーに材料を買いに行ったその帰り。
 ――ああ、またかと、できることなら時間を10分戻したかった。そうしたら、絶対に家から出なかったのにと。

 

「…見たな」

 男が手にしているのは、夜目にも光る銀色のナイフ。
 その銀色は、月明かりを受けて不気味な色を放ち、そして、男の足下には人間だろう動かぬ体があった。
 ――よりによって、今度は、殺人の現場か。
 あの鳥生の鳥獣戯画を皮切りに色んなものを見てきたが、さすがにコレはないだろうと本気で自分の体質が恨めしかった。
 だが、さすがにこれまで色んなありえない光景を見続けてきたせいか、おぞましい殺人を目撃しても何故かそう大きく動揺していない。そのせいで、男に言われるまで逃げ出すことさえ忘れていた。

「ヨユウ、だな」

「…へ?」

「自分も、こうなると、オモワナイのか?」

 片言で日本語を話す男の顔は、よく見れば明らかに日本人ではない。風に流される長いプラチナの金の髪は、黒い空に鮮やかに浮かび上がってひどく美しかった。そしてその顔は、雑誌の表紙にあってもけしておかしくはない。そう、雑誌に……。

「……お前…アゲハ、か?」

 つい昨日立ち読みしていた少年誌の隣にあった、厚めのファッション雑誌。装丁を見ただけで高級志向そうなそれの表紙に、確かこの男の顔があったはずだ。メディアにほとんど顔を出さない、日本の血が4分の1入った超人気モデル。
 俺の認識では、「女」の。

「…そうだ。俺は、女じゃない」

「はー…、ま、どっちでもいいけど」

「……どっちでも?」

「え?ああ、うん。変わりねーだろ?」

 殺人現場でする会話でなかったろうが、俺は鳥生に言わせれば頭のネジがあちこち緩いらしいので、まあいいだろう。

「……シャチョウは、男と知られれば、生きられないと、言った」

「どんな社長だよそりゃ。飯食いたいだけなら、女の必要ねーだろ。ってか腹減ってんのか?」

 それは、もしかしたらとても切実な意味を持っていたのかもしれないが、俺の頭は「生きられない」を「ご飯が食べらない」に脳内変換した。だが、あながち間違いでもなかったらしい。

「すこし」

「…この飽食の時代に不憫だなオイ。ならウチ来るか?どうせこれから作るところだったし」

「行く」

「じゃあ着いて来……ぐおっ!??」

 背を向けた途端、後ろから激突され情けない声が出る。もしや、ナイフで刺されたのかとも思ったが、別に衝撃以外の痛みはなく、気づけば後ろから抱きつかれた状態だった。いや、さすがモデルと言うべきか、抱きこまれていると言った方が正しいかもしれない。

「あ?な、なんだ?」

「お前の家、行く」

「いや、それは分かったけど…なんでこの状態だって」

「一緒」

「へ?ああ、そりゃ一緒に行くけど」

「ずっと」

 …よく分からないが、離れてもらうのは無理らしい。そう悟った俺は、仕方なく大きな子供でも負ぶった気持ちになりながら、家までの道をゼエゼエ歩いて行った。
 俺たちが立ち去って数分後、倒れていた男がむくりと起き上がり、全速力でどこかへ逃げ去ったのも知らず。
 そして。
 実はあれは殺人現場でもなんでもなく、アゲハが彼に付きまとっていた男を容赦なくぶちのめし、ナイフは恐怖の演出のために使っただけだと知ったのは、それから1週間も経った後だった。

 

 

「セン」

 カタカタとパソコンのキーボードを叩いていると、今日すでに50回近く俺の名前を口にしている男の声が聞こえた。

「ちょっと待ってろ、あと少しなんだ」

「セン」

「だからちょっと待て。あと2行で終わ……ぐお!?」

 背中に押しかかられた衝撃で、置いていた人差し指が意図しない文字を連打する。顔を上げることもできず、ああ絶対打ち直しだと溜息が出た。

「セン、なんでスグ、来ない」

「あのな、今日が締め切りだってもうウン十回言っただろうが!」

「俺より、ヤシキが」

 矢鋪というのは、俺の担当をしてくれる出版社の人だ。定期的にウチを訪れる矢鋪さんを、この男はなぜか目の敵にしている。男が言外に言いたいことが分かる自分が今ばかりは恨めしい。

「矢鋪さんが好きなんじゃなくて、これ仕上げないと仕事なくなるんだよ」

「俺がいる」

「…あのな」

 ぎゅむぎゅむと、でかい体で容赦なく抱きしめてくる男と暮らして、もう2年になる。
 片言なのは日本語が分からないからでなく、単にそういう話し方なのだと気づいたのはそう遅くない時期だったか。会ったその日からベッタリ俺の背中に張り付いてきたこの男は、俺の家で飯を食ったその日から俺の家に居座り始めた。何度か行ったことのある、今はなきこいつのマンションの部屋は俺の家の数倍豪勢で便利だろうに、古ぼけた日本家屋に住み続けるというのだからとんだ物好きもいるものだと当時は思ったものだ。
 だが、その理由をこの男が言葉足らずに話した時は、本気で失神するところだった。

「あ」

「…なんだ?」

 俺の背中を押しつぶしたままの男が、そう声をあげてパソコンの画面に見入っている。怪訝に思いながら俺も画面を見ようとしたところで、突然身体を持ち上げられた。

「おい?」

「センも、同じこと、思ってた」

 常と変わらぬ声のように聞こえるが、付き合いが長いからこそ分かるやたらと嬉しそうな声色。意味も分からず顔だけ後ろを向くと、男は俺を片手で抱き上げたまま、もう片方の手でパソコンの画面を指差した。 

 …が、実質的にHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH 

 意図せず押し続けたキーがHだったことは分かったが、これが一体何だと言うのか。

「あ?」

「しよう」

「は、え?」

「H」

 その単語に、俺はようやく事態を理解した。

「ち、違う!全然違う、違うから!!」

「照れなくて、いい」

 にこりと、およそ殺人的に美しい笑みを浮かべた男に、俺は子牛よろしくドナドナと寝室に運ばれる。
 ああ、また矢鋪さんに怒られるだろうなあと思いながら、それでもこの男にほだされる自分が実はそう嫌いではなかった。

「セン」

 何故か俺がこの男以外のことを考えていることをすぐに見破る男が、咎めるような目で俺を見下ろしてくる。そんな男を宥めるように髪を梳いてやると、気持ちよさそうに目を細めた。
 ああ、こんなに可愛い人間をほかに知らない。
 ――だが。

「今日ずっと、ベッド」

 聞こえた声に、思わず手が止まる。その手を掴まれ、一つくちづけられたのを合図に、あとはもう、何もかもがあいまいだ。

 

 ――さっきの言葉は、訂正しよう。

 

 こんなに可愛くて凶暴な人間を、ほかに知らない。

 

 


Crazy About You.
 

 


                                        End. 


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