あいのうた




 

 


 

 世良(セラ)の主は、浬(カイリ)と呼ばれていた。
 浬というのは彼の二つ名で、真名は誰も知らない。
 真名を知ることは、浬に限らず、相手を支配し、そして己も支配されるということだ。つまり、永久の伴侶となるということ。
 そして、世良の主には、まだ伴侶がいなかった。
 浬はまだ齢14。年齢だけなら、まだ伴侶を持たずともよい年ではあった。だが、浬は、年だけを考えればいいような人間ではない。
 近い未来に、この世界の王となり、そのすべてを支配する者。
 そして、浬がすべてを支配するためには、絶対に伴侶が必要なのだ。その理由は今でも分からないが、それが国が誕生してから数千年続いてきた、王のさだめ。
 だから、彼の側近やら重臣やらは、浬に早く伴侶をと迫った。
 毎朝毎夜と繰り返される家臣からの進言に、浬はもはや辟易していた。

 

「浬様、今日こそ榊さまのご息女とお会いしていただきます」

 世良が食事の膳を下げに行くと、戸の向こうから聞き覚えのある声がした。
 多分、摂政の榛名(ハルナ)さまだろうと思いながら、世良は戸を開けるタイミングを計る。だが、どんどん激しさを増してゆく榛名の口調に、世良は己が中に入る機会を逸したことを知った。

「浬さま!聞いておられるのですか!?」

「聞いてる。でも会うつもりはねえ。てめぇだって知ってんだろうが、俺が勃たねえことぐらい」

「かっ浬さまっっ!!」

「うるせえなあ……もういい、消えろ」

「ヒッ…」

 榛名の息を呑んだ音を最後に、部屋の中から音が消える。だが、音が消える直前部屋の中で何かものすごいことが起きたことは確実だろう。
 多分、世良の主が榛名をどこかに「飛ばした」のだ。
 それを間近で――とは言っても直接見てはいないが――目にしたのは初めてで、世良は膳は後で下げようとその場を後にすることにした。
 いつもは、世良は浬がいなくなったのを見計らって膳を下げていたのだ。だからいつも洗い場の担当の人間に「遅い遅い」と文句を言われていたのだが、浬と顔を合わせるよりは怒鳴られる方が遥かにマシだった。だが、今日は夜に定例の会議があるとかで、膳を早めに下げて来いと何度も口をすっぱく言われていて、それで仕方なく早めに来てみたらさっきの現場に出くわしたというわけだった。 

 戸を開けるために床につけていた足をあげ、音を立てぬようにしてゆっくりと立ち上がる。そしてそのまま踵を返そうとしたところで、突然目の前がぼやけ、体が何かにものすごい勢いで引っ張られた。

「……ッッ」

 そして、気づいたときには畳の上にどかりと乱暴に叩きつけられていた。痛む背中を摩りながら体を起こすと、目の前にいた人間に世良は目を見開き、息を呑んだ。
 この王国で、銀の髪と蒼の眼をしている人間など、国王と王子の二人しかいない。そして、その人間が人形じみた美貌を持った少年であれば、なおさらだ。
 自分を真上から覗き込んでいる、というより睨み付けているのは、世良の主である浬らしい。だが、主とは言っても、世良が単に浬の屋敷で働いているというだけで、浬は世良のことを屋敷にいる下僕の一人としてしか認識していないだろうし、そもそも存在すら知らないかもしれない。

「何してた、お前」

「………」

「おい、何してたって聞いてる」

「………」

「…言わねえと殺すぞ」

「………ァ」

「あぁ?聞こえねえ」

 おどろおどろしい浬の声に、このままでは殺されると世良はどうにか声を出そうともがいてみる。だが、やはりどうすることもできず、世良は歯を食いしばって顔を俯けた。

 その人形じみた顔からは想像もできないが、浬という人間は、気に入らぬ者は即座に殺すことで有名だ。

 それはこの王国で暮らす者であれば誰もが知っている公知の事実であったし、屋敷で働く世良自身、浬が表情を変えずに人を斬り捨てる場面を見たのは両手指では数え切れない。
 浬とて帝王学を学ばされた者、何の理由もなく人を斬ることはないようではあったが、殺す理由には及ばないような理由で浬は人を斬るのだと、世良は同僚や上司が話しているのを何度も耳にした。
 だから、この場で己は殺されるのだろうと思った。
 その証拠に、多分浬の力だろう何かが、ギリギリと世良の首を絞めている。ああ、きっとこのまま己は呼吸を止めて死ぬのだろうと思って、世良はゆっくりと目を閉じた。
 だが。

「…お前殺されかけてんのに何も言わないのか?」

 突然首にかかっていた力がなくなり、世良はその場にドサリと倒れこむ。そして空気を取り込むようにゲホゲホと何度も咳をして、ぼやけた視界をはっきりさせようと、震える手で目を乱暴に擦った。

「おら、理由言えよ」

 まだ諦めてはくれないのかと、世良は今の状況に絶望する。理由と言っても、ただ単に己は食事の膳を下げに来ていただけだというのに。

「……なあ、本気で殺すぞ?見た感じ俺んちの使用人っぽいけど、どっかの間者かお前?」

 が、浬の口から飛び出したとんでもない台詞に、世良は俯けていた顔を上げてぶんぶんと首を横に振る。

「じゃあ何であそこにいたんだよ」

「………ッッ」

「…あのなあ」

 はあとため息をついたかと思うとギンと恐ろしい目で睨み付けられて、世良はとっさに浬の手を掴んでいた。常の世良ならけしてしないだろうことをしてしまっていたのは、やはり、このまま死にたくはないという人の根源的な本能が働いたからだろうか。
 浬が呆気に取られたように目を見張っているのをよそに、世良は掴んだ手をゆっくりと己の喉元に持ってゆく。そして。

“わたしは、こえが、でません”

という言葉を、唇でかたどった。

 

  



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